「クラシック音楽について」

 本来なら音楽についての文章は、当ホームページの「Home」カテゴリー内で記載すべきはずだが、とうとう「ブログ」カテゴリー内でも記載することになった。

理由は、現在Homeカテゴリー内のコンテンツ容量の許容範囲を超え、記載できる部分がなくなってしまったのだ。従って、

①  既述コンテンツを削除して、新たに書き直すか。

②  ブログカテゴリーを冗長化してコンテンツを拡張するか。

の「二者択一」になってしまった。

Homeカテゴリーでも既述したが、このホームページビルダーは有料版ではなくフリー版なのでその制限は、受容しなければならないのだ。 

幸い、ブログ内文章においてもDropboxにハイパーリンクを設定できるので、そこに音楽コンテンツなども入れて、リンクを設定してアクセスできるようにすればかなりの冗長性が得られるという事だ。

しかしだ、そこにも問題があり私のDropboxもフリー版なのでデーター保存に限度があり、際限なくできると言うわけでもない。

と言うわけで、Dropboxにも限度があるからして、いろいろなデーター預託をセーヴして進めざるを得ない。  2023/10/20


「クラシック音楽愛好家」 

 我が国の「クラシック音楽愛好家」の比率は国民総人口比で恐らく1%以下だそうだ。

まあ!「クラシック音楽愛好家」と言っても、いくらでも分類方法はあって、例えば、

①  クラシック音楽を常に自ら演奏する。

②  クラシック音楽の演奏会に良く出かける。

③  クラシック音楽のCDを常に買い続けている。

④  クラシック音楽の音楽番組を常によく視聴する。

⑤  クラシック音楽をマニアックな再生装置で再生する。

などなど、いろいろなレヴェルがあると思うが、一般大衆音楽、商業音楽、娯楽音楽などなどでなく「クラシック音楽」と限定詞がつけばやはり狭き門にはなってしまうと思うので、やはり1%以下は当を得ているのではなかろうか。

このことは、このHP「Home」の「現今の日本のクラシック音楽事情」のカラムにおいても記述したが、その数値は現在でも変化はないと思われる。

 

 さらに、私が手掛けている音楽ジャンルの場合、「沖縄クラシック音楽」と言う、未知、未定義のジャンルであるから、それを志向している私自身は、独りぼっちで「前人未踏」の目標にひた走りしているようで、その道程の現状はとても厳しく、それは、まるでエベレスト登頂を「ガイドなし、装備もなし」で目指し、このままでは「遭難死もしかねない」ほどの気持ちを抱えながら、孤独で登山している気持ちだ。 

 

「独りぼっちで活動している」と今言ったが、実は私の前に、沖縄音楽を西洋音楽に取り入れて活動されていた、我が国でとても著名な沖縄出身の女流作曲家が居られた。

 

この方のお名前は「金井喜久子」氏である。 

 

当然のこと私も彼女と面識があり、一度だけ1970 年代の頃に沖縄でコンサート・イヴェントをご一緒したことがあるが、残念ながら80年代半ばごろにご逝去なされたので、個人的な長い交流関係を継続することはできなかった。

 

 さて、私の音楽作品の不人気さを概観しその所見を具体的に記述すると、私がライフワークにしているこの「沖縄クラシック音楽管弦楽作品」などは、淨書楽譜も公表しHPで実演団体に演奏の所望をアナウンスしているが、オーケストラ団体による実演はまだされていない。 

すなわち「旋法」という特殊な音階で作曲されているので、各パートの演奏家の皆様からなじみが薄く敬遠されているような気がする。

 

 一応YouTubeにサンプルとして音源もアップロードしているが、一向にどのオーケストラ団体様にも実演していただけていないし、またYouTubeの「視聴回数」にもあまり増加が見られない。 

視聴回数を具体的に記述すると、恐らく一か月間に10回ほどの視聴率アップも得られていないぐらいの無関心さで、それだけ一般的には「人気がない」という事だ。

 

 確かに、今どき視聴するだけで40分以上もかかる交響曲や20分以上のヴァイオリンソナタなどの楽曲を聞いていられるほど時間的な余裕のある方が、多いわけもなく、演奏家の皆様からは演奏困難そうなので「不人気」は当然の帰結ではある。

 

 またさらに、私のこのHPについて自身で客観的に深堀すると、内容も専門家向けで「一般大衆」向けではないことは言うまでもなく、音楽愛好家、音楽家、演奏家の方々にでさえも内容把握が容易ではなく、且つ「パソコンでの閲覧」を想定して作成されているので、スマホ全盛の現在その閲覧回数の向上も望めないと思う。

 

「と思う」と言ったのは実は、私のこのHPはフリー版なので「閲覧もしくは訪問者」のカウントができないのだ。私は敢えてカウントできなくても良いと思っているのだ。

 

 すなわち、スマホでの閲覧にも不向きで、音楽のジャンルが交響曲や交響詩などの「重厚長大の楽曲」で「音質もあまり良くなく」さらに「沖縄旋法」の楽曲では、一般的もしくは大衆的にはまさにどれ一つとっても「時代遅れコンテンツもしくは馴染みにくい音楽」の塊のようなものだという事は、十分に私も認識している。

 

 このような厳しい状況下にあって、ついつい「自虐的もしくは意気消沈」にもなりそうだが、自分は常に「不易流行」の理念を堅持し、結局「自分の信じる道を、信念をもって歩んでいる。」という事なので、実際は苦にも悲観的にもならないで楽しみながらやっていると言うわけだ。

 

 冒頭に書いたことをより解りやすく自分なりに「定量数値化」するなら、我が国の「クラシック音楽愛好家」は1%以下だとすれば、さらに未定義のこの「沖縄のクラシック音楽」ジャンルの理解者は、さらにその1%の1%以下ではないだろうか。

 

 すなわち「1%/100=0.01%」になり、さらにさらにこのHPポリシーが音楽家、演奏家向け、パソコン仕様になっているのでプロの「音楽家・演奏家」は「クラシック音楽愛好家」の1%だとしたら「統計的決定理論」において、私のHPの閲覧比率は「0.0001%」以下になると言うわけだ。一言で言うなら「私自身が無名」であることも、その原因のすべてだろう。

 

 だとしたら、YouTubeのアクセス率は一か月の再生回数が5~10回UPでも、むしろ喜ぶべき数値だと考えられ、実に「洋々たる数字」だ!・・・・・と喜んでいるようでは、皆様からは・・・・・「馬鹿か!」と言われそうだが、それは確かにそうかも知れない。私自身「馬鹿か!」と揶揄されても、既述通りいたって気にしていないのだ。そういう意味においては、本当に「馬鹿」なのかもしれない。

 

 もっとも、そのようなことを気にしていたら「沖縄クラシック音楽」なんてやっていられないだろうから、実際気にしないでいられるからこそ信念をもって「継続できる」と言うのが本音だ。

 

 とても「馬鹿かしい閑話」を長々話してしまったが、閑話なので笑いながら一読していただけたら嬉しい限りです。2023/10/25


「私の習作時代の作品」

 さて「クラシック音楽愛好者と沖縄旋法」について、ばかばかしい話を長々上述してきたが、今度は少し真面目な閑話をしようかと思う。

 私が音大生時代から「沖縄旋法」の楽曲を主に作曲していたのか、と言えば全くそうではない。学生時代はごく普通の「西洋音楽」のスタイルで作曲していたし、卒業後の初期の頃は主宰する音楽院で専門的な個人教授をしながら、作曲しやすい「歌曲」を主に書いていて、「日本の旋法」にも挑戦していた。

 これらの歌曲作品は私が32歳の時の1982年にLPレコードを自主制作し、すでにYouTubeにもUploadして公表しているので視聴することができる。

 歌曲作品のほとんどは、私の20代の頃の作品で、作詩者は全て実際に親交のあった同人誌メンバーの方々ばかりであった。

作詞者と言わないで作詩者と言ったのは、現代詩の傾向が強いグループだったので、歌曲の作品も「通作歌曲」が多かったからである。 

 

ここで歌曲について、すこし深堀してみよう。

 

通常「歌曲」と言えば、一般の方々はすぐに「うた」のことだと解るがしかし、「うた」と言えば、普通歌詞が1番、2番、3番・・と「同じメロディー」で歌われるもの、即ち「歌謡曲、演歌、ポップス、唱歌、童謡・・・」などなどのことを思い浮かべるのではないだろうか。このような「うた」のことを音楽専門用語では「有節歌曲」と言う。 

しかし、歌詞が1番、2番、3番・・と、作詞されるのではなく通常の「散文詩」にメロディー・伴奏をつけて作曲された「うた」のことを「通作歌曲」と言う。

一般的に通作歌曲は、詩も長く内容も難しく、さらにメロディーも繰り返しが少ないだけでなく歌うのにも難しく、ゆえに一般的に「歌われるうた」ではなく、「鑑賞されるうた」が多いので、通常「芸術歌曲」に分類されることが多い。

 

 歌について詳細に論ずれば、うたにはあらゆるジャンルの「歌の種類」があり、恐らくジャンルだけでも数百数千にも及んでしまうかもしれない。比較音楽学の分野ではどのように分類されるか良く解らないが、例えば日本独特の「うた・・のようなもの・・」である、吟詠(ぎんえい)、声明(しょうみょう)、祝詞(のりと)、都都逸(どどいつ)、平曲(へいきょく)、浪曲(ろうきょく)・・ありとあらゆる類のものも「うた」に含まれるかもしれないのだ。

 

話が「うた」のことで飛躍したが、話題を元に戻そう。

 

 その同人誌の中核をなす方々は、私の年代と比べてはるかに年長者が多く、明治、大正時代生まれで、戦前から国内で活躍されていた著名な方々だったのだ。

その方々が1980年代中半頃から一人退場二人退場と鬼籍にはいり、それから私の「歌曲作品」の作曲意欲は急激に減退しそれ以来、歌曲作品はほとんど書いていない。

 

 翻って、私の学生時代の習作及びごく初期の作品などについて、現在は大部分楽譜も淨書して音源としても一応聴くことができる。その中には、習作として沖縄旋法のピアノソナタ、沖縄旋法ではない器楽作品などもあるが、まだ公表する予定はない。

その中でもまず、卒業作品として学生時代に全力を傾注した作品が「木管四重奏曲」である。

 

タイトルは「木管四重奏曲・主題と厳格な変奏」。いかにも昭和風の古めかしいタイトルと作品だ。

 当時の世界の音楽界の潮流は各ジャンルにおいて「前衛音楽」の全盛時代だったが、私の師匠は定石通り「変奏曲を書くことは、作曲の基本だ。」と言って変奏曲の作品を書くことを私に課した。

 この作品は1972年作曲なので、50年以上前の私が22歳の学生時代の習作であるが、稚拙で公表するには恥ずかしく、いまだにYouTubeにもUploadしていない。だがこの際、恥を忍んで間接的に公表しようと思う。

 

 これら習作の多くが淨書できた顛末は、何度も住居移転を重ねた末、終の棲家になった故郷沖縄の自宅の梱包荷物の中から、半世以上の長い眠りについていた「手書き楽譜」を探し出し、2018年にfinale14で淨書作成した。

 ここで、言明しておくがこの楽曲を淨書するに当たっては、理念として「原曲の一音たりとも加筆変更修正しない」ことを厳守した。古い作品や未発表の作品を淨書する際は、必ずと言っていいほど「加筆変更修正」の誘惑にかられるが、私は楽典的に明らかに誤りがあった場合のみ「訂正」はするが、「加筆変更修正」は絶対にしない主義なのだ。それをしてしまうと、前後の整合性が損なわれ、結局初めから書き直さなくてはならない羽目になり、それこそ整合性が失われ「木に竹を接いだ」ような、とても変な作品になってしまう場合が多いのだ。

 

 現今、改めてこの習作を客観的に吟味立てしてみると、当然ながら底流には現在の私の作風に相通ずるものがある。厳密に客観的に自作をアナリーゼしてみると、その手法は下記のいくつかに共通点があるように思える。

①  バスに保続音を多用。

②  メロディーに刺繡音とトリルを多用。

③  保守的で冒険をしたがらない、などなど。

 

 多分その理由は、師匠から「ドイツ和声・対位法理論」を厳しく仕込まれたことと、自分なりの趣味・趣向によるのもではなかろうか。

 

という事は、私は半世紀前から進化していないのだろうか。

 

 いやしかし、確かに「趣向」は変わらないかもしれないが、現在の自己のアイデンティティーに基づく作品である「沖縄旋法のSymphony」に至るまでの沖縄旋法の管弦楽作品の数々を書くことができたという事は、それなりの技術の進化はあると「自己弁護」しつつ思う次第だ。

 

 加えて、今になってひとつだけ言えることは、ひと昔前までは「人間の演奏を経ないで、楽譜から発音できる」と言う事は、当時は全く想像できなかった。

 

 昨今はAIが作曲もできる時代だ。もしかしたら今後AIがさらに進化して「五線紙に書いた手書楽譜をスキャン認識して発音、即ち演奏することもさえも可能」な、時代が到来するかもしれない。いやもしかして、AIに作曲させる際に「曲想」を伝え「なんたら、かんたら・・・」と、イメージを伝え作曲をAIにコマンドする、などという事も可能になってくるかもしれない。いや、私が先端テクノロジーの進化について詳しく知らないだけで、その技術はもはやすでに完成しているかもしれない。 

 

 今般拙作習作をHP上に公表するにあたり、とても躊躇しながらUploadしたが、これは第三者から「批判・嘲謔」されるかもしれないと懸念していたので、今まで開示しなかった。

 まあしかし、私のこの専門的に特化され僻見に満ちた煩雑なHPやブログを入念に読む人のみが、この情報を入手できると類推されることから、多分それほど心配することはないし、たとえ「批判」されても、作品はどのようなものであれ必ず賛否両論・毀誉褒貶にさらされるので、実際私はあまり気にしないことにしている。

 

 まだまだ、未発表作品も多く存在はするが、習作的なものや自信のない稚拙な作品は多分これからも公表はしないと思う。しかし、未発表の作品は「淨書済み」も多くなってきているので、今後気が向いたら公表するかもしれない。

 

「Qurtet for Fl. Ob. Cl. Fg. Theme and strict variations」

 

上の「タイトル」をクリックすることによりDropboxにジャンプし、フォルダ内の mp4 アイコンをクリックしてコンテンツが表示されたら「左下の再生マークをクリック」再生します。右下の「拡大マーク」をクリックすると大画面になり、元に戻すときは再生画面右下の「終了マーク」を押せば戻ります。     2023/11/01


次の文案を思案中!